2008年12月16日
大企業を退職する決意1
今回は趣を変えて、起業の思い出を何度かにわけてつづって行きたいと思います。たぶん長くなります(笑)最初は、思い出話中心ですが、起業の苦労や楽しいことを書いていきたいと思います。ご参考になることもそのうち出てくるかと・・・。
僕は1992年に、大企業である、日立製作所に入社。名古屋に配属になって官公庁や大学にスーパーコンピュータや汎用機、ワークステーション、パソコン、ネットワーク機器を販売していました。販売といっても飛び込みで売れるようなものでもなくって、一年がかり、三年がかりで提案して売っていく、けっこう大掛かりなプロジェクトでした。パソコンも一度に500台とか平気で売っていて、搬入日などはコンパクトなカッター片手に段ボールをあけて解体するのが得意でした。
インターネットにはおそらく日本の文系の人間としてはかなり早くから触れていたと思います。最も重要なお客様に、分子科学研究所というところがあったのですが、ここの先生方はノーベル賞の卵みたいな方ばかりで、どんなことでも「一番」じゃないと気がすまない人たち。インターネットの技術においても、現在のギークな若者達も真っ青な好奇心で毎日、毎晩触りまくっていました。僕も興味はあったので、質問はしてみるのですが、熱心に説明してくれる内容はちんぷんかんぷん。ただ、現地に常駐していた、これまたオタクな日立のSE連中がものすご詳しく、わかりやすく、嬉しそうに説明してくれるので、こんな僕でもネットの魅力は充分理解できました。
(続く)
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■Gofield.com編集長の弁
感想などお聞かせください。また、ぜひいろいろ情報交換させてください。お役に立てれば幸いです。
僕は1992年に、大企業である、日立製作所に入社。名古屋に配属になって官公庁や大学にスーパーコンピュータや汎用機、ワークステーション、パソコン、ネットワーク機器を販売していました。販売といっても飛び込みで売れるようなものでもなくって、一年がかり、三年がかりで提案して売っていく、けっこう大掛かりなプロジェクトでした。パソコンも一度に500台とか平気で売っていて、搬入日などはコンパクトなカッター片手に段ボールをあけて解体するのが得意でした。
インターネットにはおそらく日本の文系の人間としてはかなり早くから触れていたと思います。最も重要なお客様に、分子科学研究所というところがあったのですが、ここの先生方はノーベル賞の卵みたいな方ばかりで、どんなことでも「一番」じゃないと気がすまない人たち。インターネットの技術においても、現在のギークな若者達も真っ青な好奇心で毎日、毎晩触りまくっていました。僕も興味はあったので、質問はしてみるのですが、熱心に説明してくれる内容はちんぷんかんぷん。ただ、現地に常駐していた、これまたオタクな日立のSE連中がものすご詳しく、わかりやすく、嬉しそうに説明してくれるので、こんな僕でもネットの魅力は充分理解できました。
(続く)
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Posted by kmorita at 09:54│Comments(0)
│起業の思い出