2008年12月19日
大企業を退職する決意3
兄は当時香川の地元では誰でも知っている大手クレーンメーカー(いやはや、現在弊社のお客様です!)でバリバリの営業をやっていて、神戸、大阪でそこそこ結果を出した後、東京に転勤していました。一度、東京に僕が出張に行った時、両国あたりの居酒屋で久しぶりに馬鹿話しつつ想いを語り合いました。
僕はなんだかんだ言って、四歳年上の兄の背中を見て育ってきたところがあって、保育所、小学校、中学校、高校(コースも同じ)、大学(学部も同じ!!)まで兄と同じというどうしようもない弟なのです。
バブル絶頂時に日立に入るときに周囲の
「なんで日立選んだの?」
の質問に、
「うーん、日立が潰れる時にはもう社会がめちゃくちゃになってるだろうから、そのときはあきらめつくやんか」
とこたえ、自分でもびっくりの安定志向感覚で入りました。その安定が嫌になったわけです。横並びの想像がつく未来が嫌になったのです。そんなとき、ダメな弟の僕はまた兄を頼っていたのでした。
僕は、手帳を見ながら兄に電話しました。数コール後、僕に似た声の兄が電話に出ました。
「おぉ、元気?」
「まぁまぁやで。お前は?」
「まずまずやけど」
「おう、それはよかった。なんや?なんか用事か?」
「うん、あのなぁ、そろそろやと思うんや、そろそろちゃうかなと!」
「おぉ、そろそろやろー!そろそろやで!」
「やっぱりそろそろかー!」
上記の会話は本当に事実で、まったく何も言ってないに近いのに、意思疎通できていました。
こうして、親に苦労をかけて、県外の私立の四大を卒業させてもらって、やっとこさ二人とも一部上場企業に就職した僕達兄弟は、これまた揃って会社を辞めてしまうことになるのでした。
(続く)
こちらもどうぞ!
■Gofield.com編集長の弁
感想などお聞かせください。また、ぜひいろいろ情報交換させてください。お役に立てれば幸いです。
僕はなんだかんだ言って、四歳年上の兄の背中を見て育ってきたところがあって、保育所、小学校、中学校、高校(コースも同じ)、大学(学部も同じ!!)まで兄と同じというどうしようもない弟なのです。
バブル絶頂時に日立に入るときに周囲の
「なんで日立選んだの?」
の質問に、
「うーん、日立が潰れる時にはもう社会がめちゃくちゃになってるだろうから、そのときはあきらめつくやんか」
とこたえ、自分でもびっくりの安定志向感覚で入りました。その安定が嫌になったわけです。横並びの想像がつく未来が嫌になったのです。そんなとき、ダメな弟の僕はまた兄を頼っていたのでした。
僕は、手帳を見ながら兄に電話しました。数コール後、僕に似た声の兄が電話に出ました。
「おぉ、元気?」
「まぁまぁやで。お前は?」
「まずまずやけど」
「おう、それはよかった。なんや?なんか用事か?」
「うん、あのなぁ、そろそろやと思うんや、そろそろちゃうかなと!」
「おぉ、そろそろやろー!そろそろやで!」
「やっぱりそろそろかー!」
上記の会話は本当に事実で、まったく何も言ってないに近いのに、意思疎通できていました。
こうして、親に苦労をかけて、県外の私立の四大を卒業させてもらって、やっとこさ二人とも一部上場企業に就職した僕達兄弟は、これまた揃って会社を辞めてしまうことになるのでした。
(続く)
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Posted by kmorita at 08:53│Comments(0)
│起業の思い出